当事務所にお越し頂く際のアクセス方法について

今回は,当事務所にお越し頂く際のアクセス方法について,お知らせ致します。

別掲の事務所案内図のとおり,電車でお越し頂く場合,東京メトロ・丸の内線の四谷三丁目駅もしくは新宿御苑前駅が当事務所の最寄り駅になります。
 以下では,四谷三丁目駅からの道のりをご案内します。

(1) 新宿方面から(池袋行きまたは茗荷谷行きで)来られた場合
改札を出て正面左方向の,四谷消防署・消防博物館の建物にある2番出口(エレベーターもあります)を出ます。地上に出たら少し左に行って四谷3丁目の大きな交差点を右方向に渡ってください。つまり,逆方向の新宿方面行きのホームから地上に出る1番出口のあるところに渡ることになります。改札内でも1番出口側に出られますが,いったんさらに深い地下に階段を降りて昇ることになりますので,運動不足解消のため頑張る方以外は,地上の交差点を渡る方が楽です。
もちろん,2番出口を出てそのまま右方向(つまり新宿方向)に歩いて,途中のホテルウイングの前の信号か四谷4丁目の信号を渡って頂いてもけっこうです。このように歩くと正面にニューヨークのエンパイアステートビルを連想させるドコモタワーが見えます。夜はカラフルに電飾されていてとってもきれいですよ。

消防博物館は,我が国の消防の歴史や現状を紹介していて,数々の貴重な消防にまつわる江戸時代からの道具や装備,歴代の消防車の実物のほか,屋上には消防ヘリコプターの実物(操縦席に乗れますよ)まで展示されていて,なかなか充実しています。なんと入場無料!ですので,お子さん連れのお出かけスポットにいいですよ。
また,ほど近い四谷4丁目20番地には,世界のおもちゃやゲームを集めた
東京おもちゃ美術館があり,楽しく遊べます。これまたお子さんが大喜びすること間違いなしのスポットです。

【四谷消防署・消防博物館】バスの向こう側に2番出口があります。
 


(2) 四谷方面から(荻窪行き,新宿行き等で)来られた場合
改札を出て右方向の通路を進んで1番出口を出てください。地上に出たところで右を見ると,小さな花屋さん,きしめんの看板のそばやさんがあります。その右の先にドトールコーヒー,サンドラッグ,スーパー丸正食品総本店,セブンイレブンなどが並んでいる通り(新宿通り)があります。

【1番出口】地上に出て右側の花屋さん
「きしめん」の看板の方向にお進みください。

【ドトールコーヒー,サンドラッグ,スーパー丸正】

【ドトールコーヒー,サンドラッグ,スーパー丸正】 なお,1番出口にはエレベーターはありませんが,改札を出た目の前に3番出口のエレベーターがあります。ここから出た場合は,四谷3丁目交差点の信号を渡って,1番出口の方へお歩きください。

【3番出口】エレベーターがあります。右手奥の方向に信号を渡ると1番出口があります。

(3)1番出口から新宿通りを新宿方向に直進
新宿通りを新宿方向に直進し,「天然たいやき」の看板のあるたい焼き屋,瀟洒なビルの韓国文化院(KOREAN CENTER),四谷4丁目バス停(都バス新宿駅西口行)を通りすぎます。

【天然たいやきの店】

「天然たいやき」ってご存じですか。たい焼きなのに「天然」って?と思いますよね。なんでも,たこ焼きみたいにたくさんいっぺんに焼き上げる焼型ではなく,一匹ずつ直火で焼き上げる一丁焼きの焼型を使うのを「天然たいやき」と言うそうです。中味も十勝あずきと金時いもがあって,どちらもなかなか美味しいですよ。

【右側が新宿駅西口行きの四谷4丁目バス停,左側,赤い円柱のビルが韓国文化院】

1番出口からおよそ370メートルくらいでしょうか,四谷4丁目交差点の信号まで来たら,角にモスバーガー,ファミリーマートがあるので,左折します。四谷4丁目バス停(都バス渋谷駅行)のすぐ先にある赤い郵便ポストまで歩いて頂くと,そのポストの真ん前が,当事務所の入っている大京町PJビルです。1階には平山胃腸クリニックがあります。

【モスバーガー】
【ファミリーマート】

【大京町PJビル】赤い郵便ポストの前です。
平山胃腸クリニックの看板が見えます。


お疲れさまでした。当事務所は3階です。
玄関内のインターホンで 3 0 1 呼 と順番にボタンを押していただくと,受付より応答して,ご案内させていただきます。

【PJビル案内板】
【インターホン】
【当事務所エントランス】

ところで,このPJビル玄関前の通りに面した柱には,新宿区指定史跡「斎藤茂吉終焉の地」という銘板が設置されています。またその内側のビルの外壁には「新宿の大京町といふとほり わが足よわり 住みつかむとす」という茂吉の短歌と,やはり精神科医で作家の長男斎藤茂太がこの短歌の由来を記した銘板も設置されています。
斎藤茂吉は,精神科医であるとともに,アララギ派を代表する著名な歌人ですが,青山の自宅・病院が戦争で焼け出された後,昭和25年にこの場所に住み,昭和28年に没するまでの最晩年を過ごしたそうです。興味のある方は,これらの銘板をじっくり読んでみてください。